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一生の宝物★JET体験記

  • あなたはPersona grata
  • 2016-08-16
  • イ・ジョンヒ

    鳥取県 2013年4月~2016年4月 CIR

    鳥取県西部総合事務所地域振興局西部観光商工課・国際交流員

  • 初めの言葉
    年より早く訪れた猛暑の最近、エアコンの風の代わりに大山の清涼な山風が懐かしいです。
    帰国してから3ヶ月をはるかに過ぎても私はまだ「私の町は~」で会話をはじめます。長くも短くもある3年間の国際交流員の生活にピリオドを打ち、飛行機に乗りながらすっきりサヨナラ、と思っていたのに私の心の片隅にはまだ日本の小さな町が残っていたようです。
    JETプログラムは色々な面で私の人生に大きな変化をもたらした貴重な経験でした。3泊4日くらい休む暇もなく話すことができるほど多くのエピソードがありますが、今日は分量の関係のため質素ですが過去の所懐を述べてみたいと思います。

    どんぐり(トトリ)? ではなく、頭文字に力を入れてください。
    トットリ? はい、そうです。

     私が3年間勤めた鳥取県は、とり(鳥)と、とる(取)を使い鳥取と読みます。面白いことに韓国語のどんぐり(トトリ)と発音が似ていて講座の度に話題として活用していました。新幹線もなく、いくつかの鉄道路線を除けばほとんど電気化が行われていない断線の地域で、まさに‘スローの美学’をたっぷり感じることができる山陰地方に位置しています。交通は少し不便ですが名山である大山と鳥取砂丘をはじめとする豊かな自然環境、850年(2015年基準)の歴史を持っている三朝温泉、冬が旬であるおいしい松葉カニなど素朴な魅力がたくさんあるふるさとです。そして、海外交流ではどこにも負けないくらいの大きな関心と情熱を注いでいます。韓国の江原道と20年以上交流をしており忠清北道清州市、全羅南道羅州市とも市レベルの交流を続けています。

    旅行の番組制作に参加
     交流員の業務は地域によって少しずつ異なりますが、私の場合は交流のイベントや韓国への出張が多く、業務面で通訳・翻訳が占める割合が高かったです。色々な分野で様々な現場を経験することができましたが、その中でも14編の旅行番組制作は放送局の近くには行ったことのない私にとって新鮮で楽しい経験になりました。
     
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    地域放送局とのインタビューの撮影
     
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    撮影の途中、日本側のスタッフと一枚

     鳥取県では2013年から韓国のケーブルTVとの文化交流プログラムの制作契約を結び、毎年数回の旅行プログラムを撮影しています。本庁の交流員と業務を分担して担当しましたが、私(事務所勤務)は撮影チームの通訳、日本放送用のダビングシナリオおよび画面の字幕翻訳を担当しました。
     ダビングの録音時にスタジオに行きネイティブスピーカーのチェックをすることもありました。現場でインタビューに応じてくれる地元の人と交渉したり、現場の状況が都合に合わない時には代わりのアイテムを提案したり、エキストラとして出演したこともあります。肌寒い季節の中シャワークライミングを撮影するのに長時間雨に打たれ寒さに震えたり、スキーをする場面で雨が止まらず真冬にびしょ濡れになったり、暑い日に手作りバウムクーヘンを作るために火の前で汗を流したりと思い出がたくさんあります。
     最初は撮影のスタイルも異なり、交渉場所側との意見調整にも文化の違いを感じて大変なこともありましたが、試行錯誤を重ねるにつれてより良いプログラムに完成させることができました。
     放送翻訳は流行語や話し言葉が多く、翻訳者の文章力と創造力が要求される作業でした。また、翻訳結果が映像で長く残ることを考えるとプレッシャーもありました。多くの表現を探し、読んで比較して修正することを重ね、最適なセリフをみつけるために努力しました。周りのスタッフの方々も一緒に表現を悩み、快く監修して手伝ってくださいました。
     いざダビング現場に行けば再度修正する必要がある部分もありましたが、一日中かかっていた録音時間が??いつの間にか半日に減ったのを考えると私の実力も上達したのだと思います。

    漫画の王国‘鳥取’
     2015年は交流員の生活の中で最も忙しい一年でした。その中でも、漫画は1年の業務のテーマと言ってもいいほど多くの時間をかけた仕事でした。
     年初にソウル市から漫画をテーマにした街である‘水木しげるロード’を訪問したときに随行通訳をしたことが契機になりました。漫画の交流に関する業務協約を締結し、最初の事業としてソウル市で鳥取県の漫画を紹介する海外交流展を開催することが決まりました。
     ソウル市は展示と広報を担当し、鳥取県はデザインと著作権の処理を担当することになりました。私はソウル市との業務連絡や関係者への翻訳を担当することになりました。韓国人の情緒や考えを反映したいという意見があり、委託業者の選定過程に選定委員としても参加しました。 2カ国共同で開催する交流展は両国とも初めてだったので几帳面に確認しながら慎重に行われました。
     
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    <ソウルX鳥取の漫画王国in楽しみに>
    鳥取県出身の漫画家たちの本をソウル市に寄贈。中央に見える寄贈書とリストは私が作りました。
     
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    ‘パク・ウォンスン’ソウル市長さんからのメッセージ

     ハードなスケジュールの中でも著作権の確認は必須だったので、展示物が製作されると同時に素早く監修のスケジュールを調整しなければなりませんでした。そんな中、主要展示品に突然問題が起き、急いでデザインを変えなければならない事態が発生して肝を冷やしました。
     現場確認のためのソウルへの出張も何度もありました。地方都市の特性上、人的インフラが不足しているため、本来ならば民間に委託するべき展示内容やセミナーの原稿の翻訳も私が引き受けることになり締切日まで苦戦しました。交流展当日、会場で自分が翻訳した内容を見て胸がいっぱいになるどころか、どこか間違った翻訳やタイプミスはないかと確認するのに精一杯でした。それほど私には重要で大規模なプロジェクトでした。
     2ヶ月に渡る交流展が無事に終わった時には、安堵のため息と歓声が上がりました。2016年には両国間の自治体が多様で拡大された漫画の交流になりますように願います。

    終わりの言葉
     私は二十代半ばを過ぎてから日本語の勉強を始め、グローバル世界という言葉に似合わず三十歳になってから初めて海外の土地を踏むことができました。もちろん、その海外というのは国際交流員として第一歩を踏み出した日本の鳥取県でした。
     長年の勉強を諦め、新たな道を選択したときの抱負と覚悟は人一倍でしたが、鳥取県では少し軽い気持ちでいようと決めました。韓国と韓国人を代表するという使命感に燃えるよりも、自分の仕事を楽しくする気の利いた仲間であり、自分が知っているものや持っていることを共有し、気安く声をかけることができる優しいお隣さんになりたかったのです。
     外国から来た労働者ではなく、隣に住む外国人として呼ばれたいと思いました。国際や交流というタイトルを付けなくても私が行うすべてのことが国際化になり交流になるのではないでしょうか?最後に、このような素晴らしい機会を提供してくださったJET??プログラムに感謝の言葉を申し上げます。今日も日本各地で頑張っている先輩、同期、後輩の交流員の皆さん、皆さんはすでにPersona grata!
     
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    大山を背景に私なりの遠近感を利用して撮影したワンカットを投擲します。

    <豆知識>
    特定の人を外交使節として派遣するためには、まず相手国の同意が必要で、これをアグレマン(agrément)と言います。アグレマンは同意や承認という意味で、アグレマンをもらった人をペルソナグラータ、アグレマンをもらえなかった人をペルソナノングラータと言います。より簡単に説明するとペルソナグラータ(Persona grata)=好感、ペルソナ・ノン・グラータ(Persona non grata)=悪感であるわけです。